2009年08月22日
畳についてお勉強
「夏休み 特別企画」 ~畳の歴史について~
さあ、お勉強しましょう
中国伝来の物が多い中で、畳は日本固有の敷物です。
その歴史は古く、「古事記」に 「菅畳八重」 「皮畳八重」 という記述があります。
良く解らんので、「具体的にどんなんか教えて?」と言う質問は 受け付けられません。(私も解かりませんから~っ!)
現在の畳に似てきたのが、平安時代
敷き板に、座具や寝具として置くという使い方をしました。 使う人の身分によって、畳の厚さ、縁の柄、縁の色が異なりました。
鎌倉時代から室町時代にかけて、書院造りが生まれ、敷き詰めるようになり、高貴な人や客人をもてなすための物となり、貴族や武士の富の象徴となりました。
江戸時代に入って、数寄屋造り・茶道が発展、普及して町人の家にも畳が敷かれるようになりました。江戸中期以降、庶民が使用できるようになり、畳師・畳屋が活躍するようになりました。
近江八幡市浅小井町は、イ草の産地として栄え、近江商人が全国に畳表を広めました。
現在は栽培されていませんが、「曳山とイ草の館」が浅小井町に有り、イ草の苗や、織機、製造工程など見学されてはいかがでしょうか。
さあ、お勉強しましょう
中国伝来の物が多い中で、畳は日本固有の敷物です。
その歴史は古く、「古事記」に 「菅畳八重」 「皮畳八重」 という記述があります。
良く解らんので、「具体的にどんなんか教えて?」と言う質問は 受け付けられません。(私も解かりませんから~っ!)
現在の畳に似てきたのが、平安時代
敷き板に、座具や寝具として置くという使い方をしました。 使う人の身分によって、畳の厚さ、縁の柄、縁の色が異なりました。
鎌倉時代から室町時代にかけて、書院造りが生まれ、敷き詰めるようになり、高貴な人や客人をもてなすための物となり、貴族や武士の富の象徴となりました。
江戸時代に入って、数寄屋造り・茶道が発展、普及して町人の家にも畳が敷かれるようになりました。江戸中期以降、庶民が使用できるようになり、畳師・畳屋が活躍するようになりました。
近江八幡市浅小井町は、イ草の産地として栄え、近江商人が全国に畳表を広めました。
現在は栽培されていませんが、「曳山とイ草の館」が浅小井町に有り、イ草の苗や、織機、製造工程など見学されてはいかがでしょうか。
Posted by 山本製畳店 at 10:22│Comments(0)
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